This is it.

This is it.

Catch the moment

20

20になった。あんまり書きたいことがないかもしれない。いや、実を言うと秋になり始めた頃に下書きをした。が、今見ると全部それじゃないような。それ以降に色々ありすぎて、そのことで頭がいっぱいかもしれない。

二十歳前の3ヶ月で全てのことが動いた感覚。石を一個持ち上げたら全ての流れが轟轟と一気に動いて遠くにきてしまった感覚が1番近いと思う。「なんでこんなところに来てしまったんだ」ってのかな。渦中にいながら「振り返ったら今がターニングポイントだったって思うんだろうな」って確信している感じ。

家族のことも、免許合宿も自分の中ではすごく大きかったし、久しぶりに恋したとか、初めて告白したとか、高校の時の友達にすんなり会えたりとか、全方面動き出してしまった。

 

父の命日がちょうど誕生日の3ヶ月前で、当日は嫌でもそのことが頭によぎるのかなとかしんみりするのかなって思ってたけど、すごく楽しくていい1日だった。嬉しい楽しいだけで埋まった。ケーキのろうそくが数字のやつ(いつもは棒状)だったおかげも大いにあると思う。あんまりろうそくの匂いがしなかった。亡くなってから初めて仏壇のろうそくの匂いを嗅いだ時に思ったのが「誕生日ケーキの匂い」ってことで。場違いなこと思ってるなとぼんやり思った。ろうそくは命の匂いなのかもしれないってそこからずっと思っている。

 

今書けるのはこれくらい。秋の下書きの方も付け加えて載せようと思う。

 

あと、これを見てくれているであろう人に向けて言うのですが、一緒に組みませんか。なぜかずっと確信していて。一緒に何か作りたいです。

 

 

風が吹いて飛ばされそうな軽いタマシイで

旅先で今年初金木犀の香りを感知した。毎年新鮮にそのいい香りに驚くことに驚く。その香りを嗅ぐと甘酸っぱい気持ちになるけれど、それは金木犀が色々な意味を背負わされたからなのだろうか。アイコンにされるってのはどんな心地なんだろうか。香りに甘酸っぱい気持ちにさせられるんじゃなくて、付加された意味やイメージに甘酸っぱさを感じているだけじゃないのか。私の口癖の一つは「わっかんね」だ。 

大体夜になると感傷的になるのはお決まりだが、どうも特段にダメらしい。私には心のイメージ図があって、傷ついたりするとそいつに傷がついたり、抜けないままであったり、ドロっと出てきたり、映像として浮かぶのだが、他の人もあるのだろうか。

 

堰き止めて滞っていた時の流れを一気に吹き飛ばす出来事が旅先であって、その滞らせていた石を持ち上げてくれた人に当たってしまいそうでダメだ。その激流に完全に今飲み込まれている。それほど堰き止めていたことも再確認してしまった。いっそ、どこか流されて遠くに行ってくれないかと願っている

悪意がない、いやむしろ善意からしてくれたことにどうしようもなく傷ついてしまった時はどうしたら良いのだろう。逆に、私もそうしているのだろうな。そして気がつけずにいる。一つ縮こまっていく。

一旦、隙間ができてしまったら風は入ってしまってもう二度と封をすることはできないということを学んだ。そして風はどこまでも行ってしまうし、飄々としているから、こんなちぐはぐな封と比べてどちらが負けるのかなんて目に見えている。風にさらわれないように鍵を何重にもかけるのだ。ぬかるみに足を踏み入れられないように奥へ奥へ。

 

旅行から帰ってきて堂々巡りの日々だが、自分の中の衝動というか真相に気付いてしまったかもしれないようなまだそうなのか分からないような、信じたくないだけなのか。君が世界のはじまりの純の言葉をずっとリピートしている。

「私は傷つけたい」

私は傷つけたいのか?もしかしたらそうなのかもしれないということに気がついてものすごく怖くなっている。

そうであったとしたら、その上にこのツラを被っているなんて1番たちが悪いんじゃないのか。

純のように言える潔さすらないのか、よっぽど純の方が誠実じゃないか。

傷つけたいなら心臓を一突きにすれば良いのに、それは怖くてできないんだろうおまえは。

一突きにしたという事実を背負うのも、その反動も怖いんだろう。

返り血を浴びるのが怖いなんて自分のことをめちゃくちゃ可愛いと思ってんじゃないのか。

だからあえて重傷だとわかる部分を刺してんじゃないのか私は。そんなの許されるはずがないじゃないか。

瀕死で名前を呼ばれることに愛を感じてんじゃないのか。だとしたらそれはとんでもなく醜く汚れた歪んだ感情でしかないじゃないか。

寂しさを一人で手懐けることもできないのか。

そうなのか?私は傷つけたいのか?

私は、私は。

 

わっかんねえよ。

 

こうして自分の心を死なせていくことになんの意味があるのだ。とも思うけれど、バチが当たってほしい。私は私を傷つけたくもあるのかもしれない。イメージの心が血を流していることで安心しているのかもしれない。ひどくみにくいと思う。

 

 

堂々巡りの日々はまだ続くだろうが痛むがいいよ。

 

 

 

Take me away

すっかり秋の風と気候で過ごしやすくなったきた。これだけ異常気象異常気象だったのにちゃんと秋になるんだ。秋は優しいかで言ったらそうでもないのに人当たりは良いのがズルい。好きじゃないなら突き放して欲しい。いや実際そうされたら傷つく面倒くさいやつなんだな私は。

 

最近はバイトの掛け持ちを始めようとして、まあ落ちまくっている。大学に入ってから初めてバイトをしたのだが受かった数より落ちた数の方がゆうに越してしまった。

ここ一か月でいうと3連敗。落ちた後に求人がなくなっている場合はまあ気持ちも少しは落ち着くものだが、落ちた後も求人が出続けているのを見ると「いやそんなダメっすか……いやまあダメなんすけど…」という気持ちになる。でもまあ見る目あると思うと思ってしまうのが悲しいところである。百戦錬磨の友人が何人かいるが、どう考えてもそっちの方が採用したいもんな、わかるとなる。そして面接の練習に付き合ってくれる友人達はマジで優しいなと思う。

友人はフッ軽ポジティブみたいな人や、タフな人が多くて、類は友を呼ぶって本当なのか疑わしい。

電車が好きで駅員のバイトをしている子がいる(ブログに度々登場してくるNです)のだが、朝5時半起きで9時頃まで働いた後にフルコマ入れたりしているのを聞いた時はびっくりした。普通フルコマの日に入れようと思わないじゃん。やろうとしないじゃんそもそも。すごいねと言ったところ、「え、じゃあ私意外とすごいの?」などとあっけらかんと言っていたので余計すげえわとなった。休み期間中の今は駅員のバイトをした後15〜21時で別のバイトに入ったりしているらしく二度目の唖然タイムに入った。経済的な理由でとかではなく、単にスケジュールとしてそうなっているのがマジでタフ。

他の友人たちも夏休みで何回か誘ってくれたのだが、毎回毎回自分では計画しないことや場所に行くので連れ出してもらっている感が強くて「連れ出してもらってんなぁ」と思いながら身を任せている。ありがたいね。しかも、「いや〜今からかぁ」や「いや〜」と断ってもそんなのもろともせず「いや行こうや」とブチ破ってくるの「参りました」となるし、眩しすぎる。ありがたいね。

先日は初めて友達の助手席に乗った。ドライブをしようと誘ってくれて、乗った。友達の助手席というのがすごく不思議な気分だった。すごく大人に見えた。あの時の私はめちゃくちゃはしゃいでいたな〜。今年1はしゃいでいた気がする。助手席界隈では間違いなく世界一はしゃいでいた自信がある。楽しかったし、格別だった。私含めて3人で行ったのだが、他の2人で交代して運転をしてくれて「ほんとに大人なんだな」と思っていた。私はDJ担当。

江ノ島あたりまで行き花火をした。今年は花火はできないかなと思っていたのにできた。途中のドンキで大量のお菓子とラムネと花火を購入して夜中にドライブなんて大学生以外の何でもないねなんて話した。私はそういうのへの憧れはあるくせに自分ではやろうとしないのがよくない。「ありがとうね」と言ったら「そうでしょ〜」と笑っていた。線香花火ってなんであんなあっという間なんだろうな。

終わりがけの時に友達が「なんか泣きそうになるわ」と言っていて、わかると静かに心で同意した。なんか泣きそうになるわ  花火が終わったあとしばらく海を見てボーっとした。1人が「まだ時間あるし川崎の工場夜景見に行こうや」と言い出してマジかとなった。端から端。まあそんなこと言っても結局行くことになるのはわかっていたんだけど。だし、少しワクワク。また一つ自分ではしない経験が増えた。「本当に2人ともフットワーク軽くて尊敬する」と言ったら「やれることは全部やっといた方が良くない?」と返されたのが刺さった。途中で友達の失恋話を聞いたり、真夏の果実をみんなで熱唱したりした。後ろの友達が寝たのを見て運転している子と寝てるねって小声でトークしたのもいい時間だった。 2時間ちょい車を走らせて到着した工場夜景をベンチで見ながら「意外としょぼいね〜〜〜」ってお菓子を食べたのが最高に楽しかった。あとめちゃくちゃでかい火があって「あれってなんであんなでかいんだろ」とか「あの火ってなんであんだろうね、ライトはあるのに」とか「何が燃えてるんだろ」とかひたすら火を見て話してたのが本当によかった。一生こういうことがしたいって思っちゃったよな。デカ火を撮ろうとみんなで撮影大会をしたけど誰一人うまく撮れずに「撮れね〜〜〜〜〜〜」って放棄した。その後はずっと今後行ってみたい国や場所の話をしていた。

「またどっか行こうね」と言ったら「もっちろん〜。言ったからからには誘ったら来てよ?まあ断っても連れて行くんだけど」と返されマジで頭があがんないな〜となった。

そんなこんなで和歌山旅行が決定している。香水とイヤーカフをおろそうと思っている。

 

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そしていよいよ前撮りの日にちが決まってしまってアワアワしている。あまり考えないようにしていたし、コロナのドタバタで考えなくて済んでいたものが急にリアルに迫ってきて困った困った。とりあえずどうする???の問いかけをめちゃくちゃしている。

18

17から20にかけてって何かしら特別感があっていいと思う。18は好きな数字。区切りがいい。気持ちのいい数字と気持ちよくない数字があって自分の中でのキリのいい数字と悪い数字があって、と熱弁するも分かってくれた試しなし。
18の一年は今までで一番濃かった気がする。濃縮度ではなく具材が多くてって感じだけど。濃縮度もそうなのかね?
そういえばあれもこれもこの歳だったのかって感じ。最近で言えば引っ越しをしたのも。引っ越しをしてから数週間が経つけれど、もう自分の家の匂いなるものがあって何の匂いかわからないけどそれが私の匂いになっていくのかなぁとか思ったり。同じ柔軟剤を使っても実家の匂いにはならない謎。なんだかんだ実家に帰ってしまう謎。これだけ色々言ってて全部間違いなく本当なのに、説得力ないなぁだしフラフラしてんな〜って感じだ。なんか全部全部本当なんだけどなぁって思うことが増えた気がする。ふとした時に「帰りたいな」っていうのをよく1人で呟いてしまうけれどこに?だよなぁ。思考放棄。よし。でもこれは多分あんま良くない。


この一年でよかったこと。 
自分の名前が好きになったこと。
自分の身長が大丈夫になったこと。
自分の単純な所は悪くないと思えてきたこと。

ワッチュアネーム?

この一年で一番よかったことは何ですか?って聞かれたら私は「自分の名前が大好きになったことです」って答えるかもしれない。自分の名前、好きですか?
ちょっと前に他の人のブログで自分の名前が好きになったことが書いてあって、違う環境で違う経験を重ねているのに同じことに同じ歳で思うの面白いなって思う。

最近そういえば名前って一番最初からあるアイデンティティだなと気がついて、いやなんなら一番のアイデンティティかもしれない。一番明確で強固なアイデンティティじゃないですか?
だから自分の名前が好きじゃないなと思うたびに悲しさがあったのかもな、と思ったり。

私の名前は珍しくて初対面で正しく読まれたことがまあない。漢字の読み方的にも珍しいし平仮名にした時も珍しいと思う。それでずっと好きじゃなかった。珍しいこと自体もなんだかなぁと思っていたし、珍しいことに対して名前負けしているとも思っていたし、後者の方が嫌だった。

新生活が始まって最初の三ヶ月はまあ名乗る事が多くて、いたるところで自己紹介をする。名乗った後の反応は大体「名前、珍しいね」「漢字どうやって書くの?」「これで○○って読むの?珍しいね」で間違いないのだが自己紹介が苦手なのでこれで何個か会話が生まれるのはいいのかと思ったりはした。
大学で一番仲がいい人(一つ前のブログのNです)とも名乗った時に上記のような会話をして、リアクションをすごくくれたから「すごくリアクションしてくれてありがたいな〜」と思ったのを覚えていてる。
ある時にその子がふと「○○ってさ、いい名前よね」と言ってくれて「え〜そう?」と返したら
「○○に似合ってるな〜っていつも思うもん、すごくいい名前」って言ってくれたんですよね。なんかそれが嬉しくて「似合ってるって初めて言われた、どこら辺?」なんてガッツいたりして、それに対して
「透明感っていうか澄んでいる感じ、かな〜。似合ってるよ」と言ってくれたんですよ。それが本当にすごく嬉しくて、あ〜一生忘れないだろうなぁとか思って。その日は家に帰ってもずっとそれを噛み締めて「そっかぁ」って嬉しくなって。その子がその後名前の由来を教えてくれて「○○の由来は?」って聞かれたけどそういえば知らなくて、今まで知ろうとも思ってなかったな。

もう一つ。常連さんで私はその人のセンスを信頼しているし、こうなりたいなと思っているすごく好きな人がいる。その人はいつも本を読んでいるんだけど前にお話しした時に「学生の頃に純文学を読み漁ったけど、やっぱり一番日本語として綺麗だと思う。」的なことを沢山話してて、「へぇ〜」とか思ってなんか言葉とか日本語という面でも信頼している。(私は本をあまり読まない&純文学は全く…なので純文学〜という所に信頼というよりは言葉とか日本語に対しての思いという点で)
その人に「○○って漢字ではどう書くの?」と聞かれたので書いたら
「これで○○って読むのか、へぇ〜いいね」「いやこれはいい、可愛い」「本当にいいね」「綺麗な名前だ」と言ってくれて、それがなんだか「そっか、綺麗なんだ」とストンと落ちて、その後「綺麗な名前なんだ!」と感動して、嬉しかった。私の名前、いいな。



自分の名前を好きになれたことが本当に嬉しかったし、一生付き合っていけるし、多分生きていけるだろうし、自分の好きなところもっと欲しいって素直に思ったし、これから先好きだなって思う度に2人の顔は思い浮かぶだろうし、感謝がすぎている。



この帰省中に私の名前の由来、聞いてみようと思う。

革命を起こすんだ!

私にとってのそれは月曜日だった。革命、                                1 被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。

2 物事が急激に発展・変革すること。       なるほど。ならば何かをはじめることも何かをやめることもちゃんと革命だ。

ことは日曜日に起こった。のだが、それをご理解していただくために数ヶ月前に遡る。私の大学での友人、そうだな仮にNとしよう。Nからこんな相談を持ちかけられた。「バイトが辛くてやめたいけれどやめられない。」彼女の話を詳しく聞くとやめたいと思うのは無理もなかった。本人もやめたいんだからやめる、で解決!なのだが彼女はやめられない人間であった。頭で理解している&心もそうしたいとは思うのに出来ない。どうしてもやめられないのだ。ここまで書いていてめちゃめちゃデジャヴじゃん……となってしまった、高校の時の友人にもそんなようなことがあったな…どことなく似てる気がするし。解決方法が私との天秤にかけるなのも全く一緒すぎてデジャヴすぎて困った。Nは原因が解決したことでやめる必要がなくなり、掛け持ちをしようと新しいバイトを始めた。私もまたその頃掛け持ちをするべく新しいバイトを始めた。Let’s 心機一転!!!

だが、それがいけなかった。私もNも選ぶところを間違えたようで……うん……。私は11月に入る少し前から始めたのだが面接の時に年末の忙しさやらかんやら説明を受けていたので年末まではいるべきなんだろうな……でもやめたさがすごい。でも…って私もやめられない人間じゃん……

そんなこんなでいた今週の日曜の夜、ことは起こった。スマホが震えるとともに表示された「バイトやめた!!」の文字。これを見たときの衝撃たるや。たかがそれだけのことと思うなかれ。あのNがやめたのだ。あのNが、バイトを、やめた。これはとんでもないことなのだ。何故かよく分からないがすごく心臓がドキドキ?バクバクして高揚し高まっていくのがわかった。続くLINEで「江戸から明治になった感じよ」ときたが私は「革命だ!」と思った。大革命だと思った。フランス革命だと思った。何を言ってんだ?かもしれないがとにかく革命なのだ。世界史では一つの国で革命が起きると近くの国で続々と革命が起こるということがよくあるが、その気持ちがすごくわかった。これを止めるな、続け、革命を起こせ!  明日は月曜、バイトあり、店長もシフト入り。明日だ。これは明日しかない、絶対だ。

そして迎える月曜。朝から革命の機運が高まっていた。その日の私は革命っぽいか革命っぽくないかだけを指針に動いた。電話やLINEででも良かったが革命っぽいのはやっぱり直談判ということで直接だ。何度もシュミレーションを行う。OK.完璧だ。一日中頭の中で「かーくめいを〜起こすんだ〜」のフレーズが鳴り響いていた。晴れの天気予報だったのに4限の途中で突如のゲリラ豪雨。外は真っ暗で雷が鳴る。いやもうこれは革命の合図でしかないではないか!!!もう高揚感はMAXである。傘を持ってきていなかったのでずぶ濡れだが最高だ。雨も超楽しい。ワクワクが止まらないね。「めっちゃ楽しそう、本当に楽しそう超ニコニコしてるじゃん」とのお言葉をいただいたが超楽しくてワクワクしていたんだから仕方がない。「少年じゃん」という最高の褒め言葉もいただいた。こんなことでこんなワクワクできる単純なところ悪くはないかもと最近思えている。間違いなくここ半年で一番ワクワクしていたね。向かう道中では our time cityを聴いて革命の準備だ。しかしこれだけワクワクしていても近づいてくるとやはり緊張するものでなかなか入れず周辺をウロウロし精神を整える。深呼吸を気の済むまで行い、いざ。 事務所に手をかけ、ドアノブを回す。

 

……………回す。

 

………えっと…………え〜〜っと……誰もいないんですが……店長は???おそるおそる聞くとまさかの早く上がったそうでいやそんなことある??いやそんなことある??いやそんなこと、ある??いや、革命は??仕事始まる前に言って仕事をするのかそのまま帰るかでずっと悩んでたんだがその時間返してもらっていいですかね?そもそも言えすらしないし。ただ出勤しに来た人になってるし。いや革命は??

ということで日を改めて今日決戦日です。

 

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月曜日がポッキーの日だったので。単純、

 

 

 

 

 

I’ll be back.

おはようの時間帯になってしまった。

夏2019のブログでダラダラと書いてしまったがあれを一言でまとめると「帰省が本当に鬱すぎる」だ。帰省が本当に鬱すぎる。

じゃあしなければいいじゃんってまぁそう早まるでない。成人式の振袖というのは随分と前から予約しないといけないらしくそのためには実際本人がとのことで帰省が決定した。だが本当に待ってほしい。先程のブログにも書いた通り友達とは連絡を絶ってしまった今そもそも成人式や同窓会をどうしたらいいかわからなさすぎる。し、総じて雑にまとめると憂鬱。となる。成人式自体(辞退)を…とも思って親に

「成人式って出ないとダメかな。その、うん…あんまり出たくないんだけど……」とやんわり伝えてみたところ

「ダメ。」即答である。ですよね。さらに続けて「やっぱり節目だし出てほしい。おばあちゃんにも写真を送りたい。」それはズルい。ノックアウトギブアップである。おばあちゃんを出してくるのはズルい。それを言われてしまうと「おん……」となるしかない。そして、私が両親に対して思うところがあったりどんな感情を抱いているとしても育ててもらったという事実はあるわけで。悔しいかな。出てほしいと言われると「出るよ」と言うしかないわけで。

 

ほらよく言うじゃないですか、「一人暮らしをすると親のありがたみがわかる」ってやつ。まあほんとで。自分の場合は思ってくれてたことは改めてわかるって感じで、でも余計じゃあなんでの堂々めぐりが始まっちゃって。愛がないわけじゃないのはわかったけどでも今までの全部をなかったことにはできなくて電話した後毎回泣くっていう。ほんと、やっぱり、苦手だ。

予約をするなら早いのがいいだろうと夏休み中の帰省が決定した。電話口からでも地元に帰るのが気乗りしなさすぎるのが伝わったのか何がそんな嫌なの?という当然の質問が来て(いや…家が理由の8割ですが……)とは言えず「あんまり知り合いに会いたくない」と答えたところ「じゃあ会わなければいいじゃん」との返答。いやいやいや。田舎の激狭ヤバコミニティなめんな。田舎に住んだことのある方ならわかってくれるだろうが帰省中に知り合いに会わずにいられることがどれだけ不可能なことか。無理、無理、ぜーったい無理、不可能、100%無理。いやいやいや無理だって。改札口で待ち合わせって言えば絶対に会えるようなところだぞ??近所のコンビニに行くってだけでも同級生がバイトしてたりするわけだし、イオンに行けば知り合い3人はいる。みたいな世界だぞ。イオンもわざわざ〇〇(地名)のイオンと言う必要はない。なぜならイオンといえばそこのイオンなのだから。しかも夏休み中だからリターンズがたくさんいる。詰みである。外に行かなければとお思いかもしれないが今回の目的を忘れてはいけない。お店は駅付近。もっとも危険である。そもそも駅に降り立った時点で誰かに会う予感しかしてないけど。鬱である。

自分が全部悪いんだけども、会っちゃったらどんな顔してればいいんだろ。どうすんのほんとに。

土下座し続けるくらいしか思いつかない。

 

 

 

怖いんですよね。

ちょっと前のブログで行けない場所が増えていくって書きましたけど地元なんて行けない場所だらけの地雷で、そもそも自分にとっては地元そのものが行けない場所で。

地元にいる時、ほんと何もないところだなぁとは思っていたけど、でも何にもないけどなんでもあると思っていたし、いい町で大好きで。今でもそれは間違ってなかったと思っている。

こっちは比べものにならない大都会で、会いたくない人には会わずに済むし、駅で知り合いとすれ違うことなんかないし、街を歩けば高いビルにオシャレなカフェにベーカリーにサロンだし、高級車ばっかりだし、オシャレな人も多いし、多分憧れていた髪色にしたとしてもちっとも浮かないだろうし、本当に何でもあるけどなんにもなくて。

でも今私が地元に戻ったとしてもそれは、何にもないしなんにもないだろうなぁって。それが事実になってしまうのが怖い。目の当たりにするのが怖い。改めて突きつけられるのが怖い。

でも帰るのは決定しちゃったわけで、自分はとことん堅めていかないと帰れない。バリバリにかためて強く強くかためていかないと帰れない。多分香水も新しく買って色々全部新調して、好きな本も持っていって、使い切りのカメラも買っていってバリバリに武装して強くしていかないと帰れない。カメラも(多分写ルンです)地元にいる間に一個使い切るみたいなノルマを自分に課してイベントみたいにしないとやっていけない。イベントなら誰かに会ったりどっか行けばいいんじゃん!→あ、そうだった、誰もいないじゃんっていう堂々巡り、結構したからそろそろ学習してほしい。どんな写真撮るのかな。怖いな。無理だけどいつかあの頃みたいなものが写ってほしい。無理か。怖い。地元からこっちに戻った時の虚無感すごそうだな。ひたすら怖いな今は。

 

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今日の夜明けの写真です。

自分の中での夜行バスで目的地につく時の風景のイメージはこんな感じ。