This is it.

This is it.

Catch the moment

22

22になった。1番好きな21が終わった。

「21だからね」と数字にかこつけて、色々な人に会えたり、挑戦してみたりする勇気が出せるくらいには自分って単純なんだなと再認識した。

今年大きかったことの1つは就職活動をしなかったことでしょう。何がしたいのか分からず、軸みたいなものもなく、決められないので一旦休憩というような気持ちでこうしてしまったけれど、能天気すぎるのかな。なんだか今までで一番みんなそれぞれの道へ行くんだなあと感じているかもしれない。うちの高校は、ほとんどが進学or浪人だったので、進路選択=「どこの学校へ行くか」であり、分岐点にいるつもりだったけど、まだまだ大きな一本の道の上だったと振り返れば思う。もちろんその時はそれが一大事だったのだけれど。今回こそ無数の選択肢の中でみんなバラけていくような感覚があるけれど、もう4年も経ったらこれも些細なことなのかな。自分の良くないところに、人をすぐに眩しがるというのとすぐに逃げるというのがある。眩しさに耐えられずに、人間関係を断絶して逃げるということを何度か行ってきてしまった。周りの就職活動の様子を見ていて、自分は割り切る強さも無ければひたむきさにも欠けるのを感じて、このまま行くとまた同じ失敗をしてしまいそうだったので、とりあえず同じ土俵から降りるというのをやってみたんだけど…。というのは後付けのようなものでもあり、単純に就職活動が無理でまた逃げました。逃げたはいいものの、いつか背中を叩かれそうで怖いなあ。

春休みに友達が「就活しないなら何かやってみようよ。映画、好きなら作ったら?」と背中を押してくれました。そうして、映画を作ってみました。20分くらいの短編です。桜が好きなので桜の話にしてみました。なんというか、何かをやってみることの一歩はこんなにも小さく拙い一歩なのかぁと思ったりしました。色々な人が関わってくれました。もっとシャンとしなければいけません。

映画や音楽がいらなくなる時があります。満たされているなあという時や逆に気がもっと落ち込んでいる時です。心が20~80%くらいの時に欲しくなるのだと気が付きました。好きだと思っている人たちのことはどの心でもよく浮かんでくるので、好きだと自信を持って言えます。ものに対しての好きだという自信があまりないみたいです。

 

卒業ぶりに中学や高校の人とやっと会えるようになった。好きなところや癖がそのままで嬉しかった。私もその人たちから見たら変わっていなかったみたいです。自分のこととなるとそれは良いのか…?などと思ってしまいますが、笑ってくれていたのでよかったんだと思います。

今年は、こんな時間がずっと続けばいいのになぁが沢山あって、同時にずっとつっかえて泣きそうだった。旅行中や友達や親と家にいる時の夜、目が覚めると涙が出てくるようになってしまった。年々感傷的になっている気がして、そんなのまっぴらごめんだ。どうしようもなく傷つくことはあり、それはどうしようもなく淋しいというようなことでもあって。そういうのはあるよ。空が青かったり、星が綺麗だったり、花の匂いを感じたり、誰かが寂しい目をしていることに気がついてしまう瞬間であったり。そういうのはあるよ。だけれど、自分は悲しくも寂しくもない人になりたいです。大丈夫な人になりたいです。

先週の京都滞在の最後に映画館に行った。3日間ずっと友達と行動していて、映画館だけ1人で行ったのだが、私以外に誰も観客がいなくて1人でスクリーンを眺めた。ここまで来てひとりなのかぁと思って少し笑った。どこまで行ってもひとりなのだと分かってよかった。上映後にとぼとぼ歩いて友達の家に向かうと気の抜けた声で「おかえり~ご飯食べた?」と出迎えてくれた。食べてないよと答えると、「お腹空いちゃうよ。食べてから帰りなよ」と温めたパンとあったかい紅茶をいれてくれました。もっとシャンとしたいです。大丈夫な人になりたいです。

忘れたくないという思いと同じくらい、変わるのが怖いという気持ちがある。自身に対しても変わっていくのが怖いと思っているし、他者が変わっていくのを見るのも怖い。もし自分がモンスターになってしまったら、ちゃんと始末してくれる人はいるのかとか、周りの人はそっと離れていっちゃうのかなぁとか。道が分かれて時間が経つうちに、今好きだと思っている人たちのことを好きじゃなくなってしまう日がくるのかなぁとか。それもどうしようもないこと?怖くなくなったり、受け入れられるようになったりするものなのでしょうか。ただ現象を穏やかに眺めるような静けさを持ちたい。対岸から眺めているその時は美しいだろうと思います。

 

先日実家に帰った時に父のパソコンのデータをとってきた。そこに私の名前のエクセルフォルダがあり、その中に1/2成人式で貰った手紙の下書きが入っていた。ワードで書けばいいのに、エクセルの列に一文一文書いていた。直筆の方は中々開けずにいたので、久しぶりにその文を読んだことになる。正直どんな言葉をもらっていたかも忘れていた。

手紙の中に「見た夢、見る夢、感じたことは全てあなたの景色で、其々に良いも悪いも優劣もなく全部必要なのだ。〇〇は〇〇としてしっかり生きて行けばいい。」という一文があった。大学の四年間で沢山のことがあり、沢山感じてきたと思う。それと同じくらい放り投げている部分もある。父については、二年強も経ってしまったというのにわからない。まだわからないのかよ、というかまだよくわからないのに泣けるのかよと自分でも思っていて、ずっと立ち止まっているけれど、必要な過程だと思うことにする。関係を完全に修復できる未来には何回シミュレーションしてもならないんだけど、この孤独感はあなたのせいでもあり、どんどん美化されていく怒りのような気持ちもあるし、聞きたかったこともある。1/2成人式ではなく、成人を迎える時にはまた何か手紙とかくれる予定だったりしたのでしょうか。もしそうだとしたら、どんな言葉をくれたんだろう。これは、どうにもならないこと?  だね。

「背が丸くなるのは直した方がいい。気がついた時だけでも」とも書いてあった。まあね、ゆっくり歩いてみることにするよ。気がついた時にでも背筋を伸ばしながらね。