This is it.

This is it.

Catch the moment

23

23になった。

友人達が先に眠ってしまったので、寝顔たちを前に書いてみている。雨がポツ、ポツと屋根にあたる音が心地よく、こんな時に夜は長く深く1人だと思ったりする。誰かと寝泊まりすると大抵私が1番遅くまで起きているので、みんなの寝顔を微笑ましくも思い、またそれを上回って寂しくなったりもする。クッ、これだから夜更かしの民なんて嫌なんだ。私が1番に寝落ちたい。それでいながら自分が寝落ちた後の皆の会話にも聞き耳を立てたい。と言いつつなんだかんだこの夜の時間を愛してもいるんでしょう。と、思っている内に私も寝落ちていたらしい…。

 

そうか、大学を卒業したのもこの一年であったことなのか。と思うほどに遠いことのように思える。気がつけば京都に住んじゃったりとかして、全然想像していなかった感じになっている。完全に勢いで飛び出してきたわけだが、なぜあの時急に思い切れたのかよく分からない。

この選択は色々な変化や気づきをもたらしてくれたが、住み始めてまず第一に訪れたのはよい拍子抜けである。普段から腰が重い私にとって違う地に行くなんて大層なことであるように感じていたのだが、こんな簡単に住めちゃうもんなのかと気が抜けるくらいにはスイスイとことは進んだ。深夜テンションで宿にメールを打ってみれば面接することになり、あれよあれよという間に日にちと場所が決まり、切符を買ったらなんか新幹線に乗れてしまって、うたた寝でもしていれば京都について、行動や変化を起こすことって案外こんなもんなのかもしれない。決断しきった感覚はあまりなく、というかその前に切符を取ってしまえば、そうなっていってくれるから。去年に訪れた際の鴨川に感動して、人生で1回は住んでみたいなぁとぼんやり思っていたのに、メール1つで憧れた街に住んでいるだもんなぁ、おかしいや。

1週間くらいして、もしかしてこれってどの地に行っても生活があるだけ?と気がつき始めた。職を探し、献立を考え、スーパーに行き、人と関わる。以前住んでいた街と変わらない「生活」が繰り返されるという事実に軽く目眩がしそうだ。別にそれ以外の何かになると完全に信じていたわけではないのだが、本当にこんなにも生活なんだという改めて分からされた衝撃は大きかった。もしかして(もしかしなくてもな予感は存分にあるが保険をかけるくらいは許されたい)一生「生活」があるだけなんて果てしなさすぎるだろう。だけれども生活の断片はここでも美しかったりするのか。定食屋に並んでいる時に出てきた大学生2人組、「本当にいいんですか…?」とオドオドしている後輩に先輩が優しい顔で「お腹いっぱいになった?」と聞く声、初対面の大人4人で肉の匂いを頼りにフラフラ散歩、撫でさせてもらった柴犬の毛並み、朝の鴨川で持久走する高校生、友人の家に行く時のスーパーの惣菜コーナー、川の水面の光の移ろい、そういう瞬間こそが嬉しい人でしょう君は。そんなことに一喜一憂していたいだろうやっぱり。生活すること、住んでいる町に好きな人たちが訪ねてきてくれること、美しいと思っている好きな景色を見せられること、「好きな街が増えたよ」と呟く顔、時も重ねてみるもんだ。

京都でも当たり前に傷ついたり、嫌だと思うことがあったり、嬉しいことがあったり、仲良くなりたかった人と仲良くなれずに終わってしまったり、思いがけない人と距離が縮まったり、ああそうだよなぁ。そうしてまた自分に立ち返り、同じ悩みにいきつきもした。どこまで行っても自分であり、それはその地で己の根幹に行き当たるだけであるというごく当たり前のことに気がついて泣き笑いしてみたり。このことを話した時に「今気がついたの?そうだよ。」と言われたことがあるが、そんなみんな気がついているかもしれない当たり前のことでも、自分の足で辿り着けたことが嬉しい。この感覚は自分で掴み取ったものだから。自分の中でここに今住んで生活しているということがたしかに自信になっている。「やろうと思えばなんでも出来るよ」が少し実感を伴って質量を持ち始めたように思う。そうだよな、自分の人生の舵を自分で切れるんだな、というか切るんだよな。

 

秋に4年半ほど伸びっぱなしだった髪をバッサリと切り、高校生以来の長さになった。髪の長い自分しか知らない友人が増えていることに4年半の年月を感じる。うん、だいぶ身軽になった。今は風のような人になりたい。軽やかに飄々としながら心を撫でたり、優しく爽やかに澄みながら、思い出の中で笑ったりしてみたい。それでどこまでも行ってみたい。

 

最近見た映画の中で「日々あらゆる面で少しずつ向上を」という台詞が出てきて、その日からずっと心に残っている。映画自体はまぁ全然好きじゃなかったんだけど、この言葉は大事に残っていくと思う。

 

先月にふと腹筋をやろうと思い立った日があって、それはYouTubeの10分にも満たないメニューなのだけど、その日から今日まで1ヶ月以上毎日続けられていることに自分でかなりびっくりしている。だって今まで何かを続けられたことが本当になかった。プランクなんかも初日は5秒もキツくて、10回くらい休憩しながらやっと終えていたのに、1分近くできるようになった。この自分が何かを続けているなんて本当にびっくりだ。

 

周回遅れだと思うことが多くて、周りの人達を追いかけている感覚に焦ったり嫌になったりする。これまで一歩一歩やっていくしかないことにマジかよと思っていたんだけど、今は救いに感じている。大丈夫、一歩一歩やっていったら少しはマシになっていくはずだよ。

 

誕生日は大人になる日という認識で、毎回気合が入ってしまう。その日は全てにおいてベストなチョイスをしたくなったり、できることをやろうと思って背伸びしたり。そうして色んな事に思いを馳せて、善き人で過ごそうと思うと話したら友人は「いまいち分かりきれない感覚なんだけど、誕生日にいつもより少しいい服を着たり、部屋を綺麗にしたりするみたいなことの延長?」と言っていた。そういうようなことだと思う。自分の理想とするよい人でそりゃあいたいけど難しいから、まず大人になる日くらいはというような心持ちな気がする。綺麗事かもしれないけど頑張ってみようと思えている。日々betterを選んで、背伸びしてbetterな自分でいたらそのうちその背伸びが馴染んでいくんじゃないかな。そうしてそれが本当の自分になっていってくれるといい。

 

日々あらゆる面で少しずつ向上を。

日々あらゆる面で少しずつ向上を。