This is it.

This is it.

Catch the moment

噂の長袖ラバー

9月になり暦の上から夏が消え、最近は肌でも夏の気配は消えたように感じる。やっぱり今年も夏のことが苦手だった。夏のことは苦手だけれど、夏が似合う人には憧れる。夏が似合う人たちってニカッとか、ニヒヒッって綺麗に笑うんだ。

私が夏を苦手な一因として半袖の季節だから、というのがある。人前で半袖を着るのがすごく苦手だ。端的に言うと私は脱毛をしていない。毛の処理も、ほとんどしない。思い返すと中学生になる頃まで、体毛の処理という概念がなく、着目したことがなかった。母が生えない体質で、処理するところを見たことがなかったというのも大きいと思う。クラスメイトに何気なく指摘されたことをきっかけに、女性は体毛の処理をするものという常識を知った。また、自分が毛深い方であることも知ってしまった。そう指摘されてみると確かに世の女性に体毛は生えていなかった。テレビの中の芸能人達も、周りのお姉さん達も、クラスメイトのあの子も。もちろん、憧れのアイドルもだ。私は急に自分が恥ずかしいような気持ちになって、ハサミで腕の毛を切ったことを覚えている。父が髭剃りをしているのを見て、このカミソリでやればいいのでは?とお風呂場でこっそり剃ったら、親にバレて「皮膚が傷つくし、余計に濃くなるよ」と注意された。「どうすればいいんだ」と逆ギレしたことも、「大学生や大人になったら脱毛すればいい」と返されたことも鮮明に覚えている。そこで、脱毛という言葉も初めて知った。「脱毛って何?」と聞いたら、父も母もしたことがなかったため、「なんか女の人がよくやってるんだよ。こう、毛が生えてこなくなるやつ」という回答をされ(間違ってはいないが)、私の中で脱毛は、よく分からないけど毛が生えてこなくなる魔法みたいなやつという位置づけになった。

高校生になると、いよいよ周りの女の子達はみんな毛が生えていなかった。私はシェーバーを買うことも、親の剃刀を使うことも禁止だったため、毛の生えた私のままであった。そんな自分がたまらなく恥ずかしく、剃刀をこっそりと使ってはバレて怒られるのを繰り返していた。バレる度に、中学生の時と同じ理由で注意され、「大学生になったら脱毛すればいいから」と諭されたが、「じゃあ今はどうすればいいんだ」と言いたくて仕方がなかった。体育のジャージは中学生のころからずっと長袖長ズボンの方を着るようになっていたし、みんなが長袖を着る季節になると安心するようになっていた。高校では夏服に半袖のカッターシャツが指定されていて、特別な理由があると認められた人のみ長袖を着てもよかった。私は右腕に傷跡があり、それを見られたくないからという理由と、日光に弱いという適当な理由をつけて長袖のシャツを年中着ていた。とにかく肌を露出するのが怖くて仕方がなく、みんなでお風呂に入る場面なんて最悪だった。今でも一緒にお風呂に入るのは苦手だ。みんなで泊まる時の夜やどうしても暑くて半袖になる時も、体毛を見られたらどうしよう、幻滅されたらどうしようとずっと気が気でなかったし、早く大学生になって脱毛をしたくて仕方がなかった。イリョウとかビヨウとかなんだか色んな種類があるらしいけれど、とにかく脱毛さえすれば解放されるんだ、早くみんなと同じにしてくれと、「ダツモウ」に祈っていた。

大学生になり、バイトも始め脱毛資金が貯まったのは一年生の冬の頃だった。どこで施術をしてもらうかを検索している時にふと、なんだかこれでいいのかなという気持ちになった。私はメイクも日常的にする方ではなく、女性の身だしなみとして強制されるような風潮に嫌悪感があるが、同じことなのでは?と初めて思った。もしそんな風潮がない社会で生きてきたら、自分はしたいと思ったのかと聞かれれば私はNOだろう。自分の意志と言い切れないまま脱毛をしたら、それは自分を苦しめてきた社会側にまわってしまうことになるんじゃないだろうか。あるいは、子供が自分を見て「あのお姉さんも毛がない」と学習してしまう一例になるのは、自分の本意ではないのではないか。ここで一つ弁明しておきたいのは、世の中の脱毛をしている方たちにどうこうという気持ちは一切ない。本当にない。ただ、自分は今のままだと社会に流されてしたことになり、後悔するのではないかと思っただけだ。自分の意志でしたいと思ったんだ、と胸を張って言えるようになったらしようと決意した。でも一年生からもうこんなに時間が経ってしまった。そもそも美意識が社会とは不可分だから、自分の意志でなんて一生思えないんじゃないかと思う。思えないという言い方をしている時点で、お察しなのだが。脱毛しないままでいればいいじゃないかというのはそうなんだが、露出への恐怖心がずっとあり半袖を着られない。決意して堂々と半袖を着ているなら、いいねとも思うのだが、口で決意だのなんだの言っておいてこの様だからひどく格好が悪いし、醜いと思う。今では夏でも長袖を着ることに少し慣れてしまった。大学生になってから気がついたのは、全く知らない人しかいない場所、というか「見ていないだろう」と思える時は半袖を着ることが出来るということだ。一人で映画に行く時だったり、一人でご飯を食べる時、電車の中etc…。一人の時でも「見られているかも」という意識が働いてしまうとダメで、お会計する時はちょっと怖くなる。服屋さんは特に。コロナのワクチンを打ちにいった際に、注射がどうこうよりもずっと「この看護師さんも私のこと毛が生えてるなとか思ってるのかな」と思ってしまった時は、流石に重症だなと笑ってしまった。注射に集中していてそんなこと思ってもいないだろうし、「みんな言うほど気にして見てないよ」というのもそうなんだろうし、自意識過剰だというのも分かってはいるがどうしても怖い。だから人に会う時は基本長袖を着ているし、バイト先なんてもう絶対長袖だ。真夏に長袖を着ているとみんな大体「長袖暑くないの?」と聞いてくるが、そんなの暑いに決まってる。半袖着たくて仕方がないよ。最近はアルバイト先で、出勤して挨拶をすると「今日も長袖だ」というのがお決まりのやりとりになっている人がいて、少しザラッとする。でも「日焼けしたくないから」とか適当な理由つけている。そうだよ私が長袖ラバーだよ。

 

あまりにもこのままではと思い、少しずつ半袖を着る挑戦もしてみてはいる。友達に一連のことを説明させてもらって、予防線を十分に張って、着るという回りくどいことをしている。「大丈夫」と声をかけてもらって、着られるようになった場面や人も前よりは増えたけれど、その日の自分の状態で「無理だ」と思ってしまう日もまだまだある。だって本当に怖い。友人達がそれで幻滅したり、説明なしに体毛を見たとしても言ってきたりするような人達じゃないのは分かっている。でも、思ってしまうことは止められないから。直接言ってくる人がいたら怒ればいいが、「あ、」とか「処理してないんだ」とか思ってしまうことはどうしようもできないから、それが一番怖いんだと思う。好きな人達にそう思われたくない。

 

最近はよく、やらないという抵抗は抵抗になっているのかなと自信がない。この脱毛にしても、就活のメイク講座にしても、バイトにしても。三年になり説明会やインターンが始まると学校や就活サイトが主催して「女子限定!就活のブラウンメイク講座」的なやつがよく開かれる。心底気持ちが悪くて、友人達と嫌だね、絶対申し込まないでおこうと話していた。けれど、私たちが申し込まなくても、毎回それらの講座は定員に達していたし、需要はあるみたいだった。だから、また来年もきっと開催されちゃうねと後輩たちに申し訳なく思ったりした。また映画館のバイトを探していた時に、好きな映画館の募集要項が前時代的に感じて悲しかったこともある。応募しなかったけれど、これもまたその条件を何とも思わない人によって埋まった。だから、多分次も同じ条件で求人が出されると思う。そう思うと、加担しないというささやかながらでも抵抗しているつもりだったけれど、社会的に見たら何にもなっていなくて0なのではないかと落ち込んでしまう。もっと次の段階の、というのも分かっているけれど、今の自分にはこれが精一杯だという言い訳もさせてほしい。もっと先に進んでいる人たちからしたら、答えも分かっているんだとも思うけれど、もう少しジタバタすることになりそう。

 

 

明日からずっと「大丈夫」と言ってくれる友人達と海辺に行ってくるから荷物に半袖も入れてみたんだ。

キラキラサマーガールになりたいよ。