This is it.

This is it.

Catch the moment

23

23になった。

友人達が先に眠ってしまったので、寝顔たちを前に書いてみている。雨がポツ、ポツと屋根にあたる音が心地よく、こんな時に夜は長く深く1人だと思ったりする。誰かと寝泊まりすると大抵私が1番遅くまで起きているので、みんなの寝顔を微笑ましくも思い、またそれを上回って寂しくなったりもする。クッ、これだから夜更かしの民なんて嫌なんだ。私が1番に寝落ちたい。それでいながら自分が寝落ちた後の皆の会話にも聞き耳を立てたい。と言いつつなんだかんだこの夜の時間を愛してもいるんでしょう。と、思っている内に私も寝落ちていたらしい…。

 

そうか、大学を卒業したのもこの一年であったことなのか。と思うほどに遠いことのように思える。気がつけば京都に住んじゃったりとかして、全然想像していなかった感じになっている。完全に勢いで飛び出してきたわけだが、なぜあの時急に思い切れたのかよく分からない。

この選択は色々な変化や気づきをもたらしてくれたが、住み始めてまず第一に訪れたのはよい拍子抜けである。普段から腰が重い私にとって違う地に行くなんて大層なことであるように感じていたのだが、こんな簡単に住めちゃうもんなのかと気が抜けるくらいにはスイスイとことは進んだ。深夜テンションで宿にメールを打ってみれば面接することになり、あれよあれよという間に日にちと場所が決まり、切符を買ったらなんか新幹線に乗れてしまって、うたた寝でもしていれば京都について、行動や変化を起こすことって案外こんなもんなのかもしれない。決断しきった感覚はあまりなく、というかその前に切符を取ってしまえば、そうなっていってくれるから。去年に訪れた際の鴨川に感動して、人生で1回は住んでみたいなぁとぼんやり思っていたのに、メール1つで憧れた街に住んでいるだもんなぁ、おかしいや。

1週間くらいして、もしかしてこれってどの地に行っても生活があるだけ?と気がつき始めた。職を探し、献立を考え、スーパーに行き、人と関わる。以前住んでいた街と変わらない「生活」が繰り返されるという事実に軽く目眩がしそうだ。別にそれ以外の何かになると完全に信じていたわけではないのだが、本当にこんなにも生活なんだという改めて分からされた衝撃は大きかった。もしかして(もしかしなくてもな予感は存分にあるが保険をかけるくらいは許されたい)一生「生活」があるだけなんて果てしなさすぎるだろう。だけれども生活の断片はここでも美しかったりするのか。定食屋に並んでいる時に出てきた大学生2人組、「本当にいいんですか…?」とオドオドしている後輩に先輩が優しい顔で「お腹いっぱいになった?」と聞く声、初対面の大人4人で肉の匂いを頼りにフラフラ散歩、撫でさせてもらった柴犬の毛並み、朝の鴨川で持久走する高校生、友人の家に行く時のスーパーの惣菜コーナー、川の水面の光の移ろい、そういう瞬間こそが嬉しい人でしょう君は。そんなことに一喜一憂していたいだろうやっぱり。生活すること、住んでいる町に好きな人たちが訪ねてきてくれること、美しいと思っている好きな景色を見せられること、「好きな街が増えたよ」と呟く顔、時も重ねてみるもんだ。

京都でも当たり前に傷ついたり、嫌だと思うことがあったり、嬉しいことがあったり、仲良くなりたかった人と仲良くなれずに終わってしまったり、思いがけない人と距離が縮まったり、ああそうだよなぁ。そうしてまた自分に立ち返り、同じ悩みにいきつきもした。どこまで行っても自分であり、それはその地で己の根幹に行き当たるだけであるというごく当たり前のことに気がついて泣き笑いしてみたり。このことを話した時に「今気がついたの?そうだよ。」と言われたことがあるが、そんなみんな気がついているかもしれない当たり前のことでも、自分の足で辿り着けたことが嬉しい。この感覚は自分で掴み取ったものだから。自分の中でここに今住んで生活しているということがたしかに自信になっている。「やろうと思えばなんでも出来るよ」が少し実感を伴って質量を持ち始めたように思う。そうだよな、自分の人生の舵を自分で切れるんだな、というか切るんだよな。

 

秋に4年半ほど伸びっぱなしだった髪をバッサリと切り、高校生以来の長さになった。髪の長い自分しか知らない友人が増えていることに4年半の年月を感じる。うん、だいぶ身軽になった。今は風のような人になりたい。軽やかに飄々としながら心を撫でたり、優しく爽やかに澄みながら、思い出の中で笑ったりしてみたい。それでどこまでも行ってみたい。

 

最近見た映画の中で「日々あらゆる面で少しずつ向上を」という台詞が出てきて、その日からずっと心に残っている。映画自体はまぁ全然好きじゃなかったんだけど、この言葉は大事に残っていくと思う。

 

先月にふと腹筋をやろうと思い立った日があって、それはYouTubeの10分にも満たないメニューなのだけど、その日から今日まで1ヶ月以上毎日続けられていることに自分でかなりびっくりしている。だって今まで何かを続けられたことが本当になかった。プランクなんかも初日は5秒もキツくて、10回くらい休憩しながらやっと終えていたのに、1分近くできるようになった。この自分が何かを続けているなんて本当にびっくりだ。

 

周回遅れだと思うことが多くて、周りの人達を追いかけている感覚に焦ったり嫌になったりする。これまで一歩一歩やっていくしかないことにマジかよと思っていたんだけど、今は救いに感じている。大丈夫、一歩一歩やっていったら少しはマシになっていくはずだよ。

 

誕生日は大人になる日という認識で、毎回気合が入ってしまう。その日は全てにおいてベストなチョイスをしたくなったり、できることをやろうと思って背伸びしたり。そうして色んな事に思いを馳せて、善き人で過ごそうと思うと話したら友人は「いまいち分かりきれない感覚なんだけど、誕生日にいつもより少しいい服を着たり、部屋を綺麗にしたりするみたいなことの延長?」と言っていた。そういうようなことだと思う。自分の理想とするよい人でそりゃあいたいけど難しいから、まず大人になる日くらいはというような心持ちな気がする。綺麗事かもしれないけど頑張ってみようと思えている。日々betterを選んで、背伸びしてbetterな自分でいたらそのうちその背伸びが馴染んでいくんじゃないかな。そうしてそれが本当の自分になっていってくれるといい。

 

日々あらゆる面で少しずつ向上を。

日々あらゆる面で少しずつ向上を。

 

 

8/12 aftersun

8/12 aftersunを見に行った。見に行こうと思いつつ、気分とタイミングが合わず先延ばしにしているうちに、公開から2ヶ月以上経っていた。見たいものほど良いコンディションで見たくて先延ばしにしがち。帰省中に名古屋の映画館とかで見られたら嬉しいな〜と調べてみると、地元のミニシアターでちょうどやっているという。aftersunは地元で晴れた夏の日に見るのが自分とこの映画のMAXだろうなと思ったので、快晴の日を狙った。シネックスで映画を見るのは初めて。お盆休みということもあってか思ったよりも人がいた。本編中は割とぼーっと色々と思い巡らせていたのに、エンドロールで急にたらーっと止まらなくなった。余白に自分が入っていってしまって困る。いい映画ってことだ。ここで見たらしんどくなるとわかっていて、行ったのは君でしょう。感傷的なのではなく、感傷的になりにいっている。君はいつも自分のことばかりに敏感で傷つくんだね?動く気になれずに、パンフレットをロビーでぼーっと読んだ。1時間ほど経っていたらしい。そろそろ行くか。シネックス、よい劇場だ。もっと高校生の時とか通ってみればよかったと思ったけれど、その時はまだ映画に出会っていなかったんだから仕方ないか。

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真向かいの高島屋に入ってみる。関東や名古屋のデパートよりも敷居が高い感じがして入りづらい。眼鏡屋さんでサングラスをいくつかかけた。今年の夏はサングラスとポロシャツが欲しいんだ。

商店街を散歩してみた。思えば、こうしてこの通りをじっくり歩いたことはなかったかもしれない。色んな店があったんだなぁ。有名な栗粉餅を初めて買ってベンチで食べる。やわやわで美味しい!!商店街を歩いて思ったけれど、ベンチがいたるところにあるのってめちゃくちゃいいな。

かき氷を食べに神社に向かう。これは行き慣れた道。駅とは反対へ真っ直ぐ。真夏日だ。岐阜が全国で1番暑かったらしい。39℃だって。いつもなら5分もしたらヘタるのに、ずっと歩けた。太陽も心地よかった。「青い瞬きの途中で」をリピートしながら歩く。多分これからもあのワンシーンを思い出して大丈夫になったり、大丈夫じゃなくなったりすんだろうな。神社へ向かう道の広さはずっと好きで、またこれがいい緑だった。少し並んでかき氷を食べた。帰省する度に思うけれど、やっぱりここのかき氷が1番。おじちゃんのかき氷がいっちゃんだよ。色んな味があるから挑戦したいな〜と思いつつ、毎回桃か、白桃アールグレイにしてしまう。今回は白桃アールグレイ。中にバニラアイスが入っている。なんとなく今日伝えたくなって「やっぱりここのかき氷が1番好きです」と帰り際に言えた。笑ってくれて嬉しかった。

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5時のチャイムがなってもまだまだ暑い。陽が落ちたら帰ろうと、メディコスことメディアコスモスへ涼みに行く。改めて見るとカッコいい。とりあえず2階にあがること数分、こちらを見てくる人の方を向けば友人で声が出る。地元すぎる。これから恋人(こちらとも友人だ)とその家族と花火大会へ行くところだという。到着した車の方へ向かい、友人とご両親に挨拶をする。少し話して帰ろうとすると、「時間大丈夫なら一緒に行かん?」と誘ってもらった。流石に邪魔では…?vs行きたいなの戦いは、お母さんの「乗っちゃえ!」の一言で行きたいが圧勝しRide on。根尾川の花火大会へは初めて行く。車内では他愛もない話をし、聞いた。友人とご両親が話している様子や、2人の帰省話を聞いてみんな仲がいいんだな、と思った。親とこんな感じで談笑するんだとか、お盆に親戚で集まったりするもんなんだ、とか。後部座席の自分だけが遠く、どうやってもそこには辿り着けないような眩しさを覚える。川一本を越え、知らない道を走る。入道雲の合間から夕暮れの陽が一面の青田を照らす様子はとても美しかった。まだ見ぬ秋にこれらが稲穂になる様子も美しく思った。みんなは本当にこの美しさを分かっているのかな、なんてことを思ってしまった。誘ってもらった車の中のくせに。自分のみが場違いなような気もしたし、自分のみがこの景色に切実で綺麗に見えている気もした。でもいいんだ。こういう瞬間が訪れる度に固めるんだ。踏みしめて立ち入られない城を一人で作るんだ。こんな城はいつか君を救ってくれることがあるのかな。みんなもこんな城を持っているのかな。そうして景色を見ている内にうとうとしていると、2人がニヤニヤしながら「寝た?」と振り返ってきたから、「寝てないよ」って言った。

河原に着いて歩くと、祭りの空気を思い出した。そうだ、川が目の前にあって、石がジャリジャリして、土手に屋台が並ぶ。この日は稜線と雲がとても綺麗だった。友人のおじいちゃんとおばあちゃんとも合流して、マジの一家団欒に仲間入りをする。「おにぎりあるから、子供たちで好きなもの買っておいで」だって。子供なんだって嬉しかった。なににするか迷うな。串カツは迷う余地もなく味噌だよねと、満場一致。焼きそばとかき氷も買って戻ると、席におにぎりを並べてくれてた。レモン味のかき氷は初めて食べた。すぐに溶けちゃうや。おにぎりを頬張る。うんまいなぁ。私のは甘い五目おにぎりと高菜おにぎり。五目おにぎりが大好きな味すぎて。おじいちゃんとおばあちゃんが冷やしトマトと茄子ときゅうりのつけものも作ってくれてた。今日採ったばっかりなんやって。いっぱい食べた。

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花火は歓声をあげてたらあっと言う間で本当に1時間以上もやってた?めっちゃ近くてデカかった。

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祭りのあとはいつもこの気持ちになる。感傷的な奴だな君は。だけどとっても楽しくて嬉しかったから始まらなければよかったなんて思えないよ。

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帰りの車内で、「こんなこともあるなら外に出てみるもんだね」と言うと「だね。だし、あの場ですぐに来てくれたからでもあるよ」と返してくれた。今日は1日で色々な場所に行ったなぁ、いい日だなと思っている内にまた瞼が重たくなってくる。そういえば、今日は昼間から沢山歩いたんだった。前の2人が「今度こそ寝た?」と振り返ってきたから「寝てないよ」って言った。

親が仕事の日は家に1人だ。ソファに腰をかけるともう寝そう。もう少し起きていたかったが眠気には抗えない。太陽よりも日焼けは残り、祭りの楽しさよよりも終わった切なさはいつも強い。台風が来てしまったら、三日前の真夏日さえ思い出せないよ。スヤスヤしている顔はなんかすごくいい夢をみるような気がするね。おやすみ。

22

22になった。1番好きな21が終わった。

「21だからね」と数字にかこつけて、色々な人に会えたり、挑戦してみたりする勇気が出せるくらいには自分って単純なんだなと再認識した。

今年大きかったことの1つは就職活動をしなかったことでしょう。何がしたいのか分からず、軸みたいなものもなく、決められないので一旦休憩というような気持ちでこうしてしまったけれど、能天気すぎるのかな。なんだか今までで一番みんなそれぞれの道へ行くんだなあと感じているかもしれない。うちの高校は、ほとんどが進学or浪人だったので、進路選択=「どこの学校へ行くか」であり、分岐点にいるつもりだったけど、まだまだ大きな一本の道の上だったと振り返れば思う。もちろんその時はそれが一大事だったのだけれど。今回こそ無数の選択肢の中でみんなバラけていくような感覚があるけれど、もう4年も経ったらこれも些細なことなのかな。自分の良くないところに、人をすぐに眩しがるというのとすぐに逃げるというのがある。眩しさに耐えられずに、人間関係を断絶して逃げるということを何度か行ってきてしまった。周りの就職活動の様子を見ていて、自分は割り切る強さも無ければひたむきさにも欠けるのを感じて、このまま行くとまた同じ失敗をしてしまいそうだったので、とりあえず同じ土俵から降りるというのをやってみたんだけど…。というのは後付けのようなものでもあり、単純に就職活動が無理でまた逃げました。逃げたはいいものの、いつか背中を叩かれそうで怖いなあ。

春休みに友達が「就活しないなら何かやってみようよ。映画、好きなら作ったら?」と背中を押してくれました。そうして、映画を作ってみました。20分くらいの短編です。桜が好きなので桜の話にしてみました。なんというか、何かをやってみることの一歩はこんなにも小さく拙い一歩なのかぁと思ったりしました。色々な人が関わってくれました。もっとシャンとしなければいけません。

映画や音楽がいらなくなる時があります。満たされているなあという時や逆に気がもっと落ち込んでいる時です。心が20~80%くらいの時に欲しくなるのだと気が付きました。好きだと思っている人たちのことはどの心でもよく浮かんでくるので、好きだと自信を持って言えます。ものに対しての好きだという自信があまりないみたいです。

 

卒業ぶりに中学や高校の人とやっと会えるようになった。好きなところや癖がそのままで嬉しかった。私もその人たちから見たら変わっていなかったみたいです。自分のこととなるとそれは良いのか…?などと思ってしまいますが、笑ってくれていたのでよかったんだと思います。

今年は、こんな時間がずっと続けばいいのになぁが沢山あって、同時にずっとつっかえて泣きそうだった。旅行中や友達や親と家にいる時の夜、目が覚めると涙が出てくるようになってしまった。年々感傷的になっている気がして、そんなのまっぴらごめんだ。どうしようもなく傷つくことはあり、それはどうしようもなく淋しいというようなことでもあって。そういうのはあるよ。空が青かったり、星が綺麗だったり、花の匂いを感じたり、誰かが寂しい目をしていることに気がついてしまう瞬間であったり。そういうのはあるよ。だけれど、自分は悲しくも寂しくもない人になりたいです。大丈夫な人になりたいです。

先週の京都滞在の最後に映画館に行った。3日間ずっと友達と行動していて、映画館だけ1人で行ったのだが、私以外に誰も観客がいなくて1人でスクリーンを眺めた。ここまで来てひとりなのかぁと思って少し笑った。どこまで行ってもひとりなのだと分かってよかった。上映後にとぼとぼ歩いて友達の家に向かうと気の抜けた声で「おかえり~ご飯食べた?」と出迎えてくれた。食べてないよと答えると、「お腹空いちゃうよ。食べてから帰りなよ」と温めたパンとあったかい紅茶をいれてくれました。もっとシャンとしたいです。大丈夫な人になりたいです。

忘れたくないという思いと同じくらい、変わるのが怖いという気持ちがある。自身に対しても変わっていくのが怖いと思っているし、他者が変わっていくのを見るのも怖い。もし自分がモンスターになってしまったら、ちゃんと始末してくれる人はいるのかとか、周りの人はそっと離れていっちゃうのかなぁとか。道が分かれて時間が経つうちに、今好きだと思っている人たちのことを好きじゃなくなってしまう日がくるのかなぁとか。それもどうしようもないこと?怖くなくなったり、受け入れられるようになったりするものなのでしょうか。ただ現象を穏やかに眺めるような静けさを持ちたい。対岸から眺めているその時は美しいだろうと思います。

 

先日実家に帰った時に父のパソコンのデータをとってきた。そこに私の名前のエクセルフォルダがあり、その中に1/2成人式で貰った手紙の下書きが入っていた。ワードで書けばいいのに、エクセルの列に一文一文書いていた。直筆の方は中々開けずにいたので、久しぶりにその文を読んだことになる。正直どんな言葉をもらっていたかも忘れていた。

手紙の中に「見た夢、見る夢、感じたことは全てあなたの景色で、其々に良いも悪いも優劣もなく全部必要なのだ。〇〇は〇〇としてしっかり生きて行けばいい。」という一文があった。大学の四年間で沢山のことがあり、沢山感じてきたと思う。それと同じくらい放り投げている部分もある。父については、二年強も経ってしまったというのにわからない。まだわからないのかよ、というかまだよくわからないのに泣けるのかよと自分でも思っていて、ずっと立ち止まっているけれど、必要な過程だと思うことにする。関係を完全に修復できる未来には何回シミュレーションしてもならないんだけど、この孤独感はあなたのせいでもあり、どんどん美化されていく怒りのような気持ちもあるし、聞きたかったこともある。1/2成人式ではなく、成人を迎える時にはまた何か手紙とかくれる予定だったりしたのでしょうか。もしそうだとしたら、どんな言葉をくれたんだろう。これは、どうにもならないこと?  だね。

「背が丸くなるのは直した方がいい。気がついた時だけでも」とも書いてあった。まあね、ゆっくり歩いてみることにするよ。気がついた時にでも背筋を伸ばしながらね。

噂の長袖ラバー

9月になり暦の上から夏が消え、最近は肌でも夏の気配は消えたように感じる。やっぱり今年も夏のことが苦手だった。夏のことは苦手だけれど、夏が似合う人には憧れる。夏が似合う人たちってニカッとか、ニヒヒッって綺麗に笑うんだ。

私が夏を苦手な一因として半袖の季節だから、というのがある。人前で半袖を着るのがすごく苦手だ。端的に言うと私は脱毛をしていない。毛の処理も、ほとんどしない。思い返すと中学生になる頃まで、体毛の処理という概念がなく、着目したことがなかった。母が生えない体質で、処理するところを見たことがなかったというのも大きいと思う。クラスメイトに何気なく指摘されたことをきっかけに、女性は体毛の処理をするものという常識を知った。また、自分が毛深い方であることも知ってしまった。そう指摘されてみると確かに世の女性に体毛は生えていなかった。テレビの中の芸能人達も、周りのお姉さん達も、クラスメイトのあの子も。もちろん、憧れのアイドルもだ。私は急に自分が恥ずかしいような気持ちになって、ハサミで腕の毛を切ったことを覚えている。父が髭剃りをしているのを見て、このカミソリでやればいいのでは?とお風呂場でこっそり剃ったら、親にバレて「皮膚が傷つくし、余計に濃くなるよ」と注意された。「どうすればいいんだ」と逆ギレしたことも、「大学生や大人になったら脱毛すればいい」と返されたことも鮮明に覚えている。そこで、脱毛という言葉も初めて知った。「脱毛って何?」と聞いたら、父も母もしたことがなかったため、「なんか女の人がよくやってるんだよ。こう、毛が生えてこなくなるやつ」という回答をされ(間違ってはいないが)、私の中で脱毛は、よく分からないけど毛が生えてこなくなる魔法みたいなやつという位置づけになった。

高校生になると、いよいよ周りの女の子達はみんな毛が生えていなかった。私はシェーバーを買うことも、親の剃刀を使うことも禁止だったため、毛の生えた私のままであった。そんな自分がたまらなく恥ずかしく、剃刀をこっそりと使ってはバレて怒られるのを繰り返していた。バレる度に、中学生の時と同じ理由で注意され、「大学生になったら脱毛すればいいから」と諭されたが、「じゃあ今はどうすればいいんだ」と言いたくて仕方がなかった。体育のジャージは中学生のころからずっと長袖長ズボンの方を着るようになっていたし、みんなが長袖を着る季節になると安心するようになっていた。高校では夏服に半袖のカッターシャツが指定されていて、特別な理由があると認められた人のみ長袖を着てもよかった。私は右腕に傷跡があり、それを見られたくないからという理由と、日光に弱いという適当な理由をつけて長袖のシャツを年中着ていた。とにかく肌を露出するのが怖くて仕方がなく、みんなでお風呂に入る場面なんて最悪だった。今でも一緒にお風呂に入るのは苦手だ。みんなで泊まる時の夜やどうしても暑くて半袖になる時も、体毛を見られたらどうしよう、幻滅されたらどうしようとずっと気が気でなかったし、早く大学生になって脱毛をしたくて仕方がなかった。イリョウとかビヨウとかなんだか色んな種類があるらしいけれど、とにかく脱毛さえすれば解放されるんだ、早くみんなと同じにしてくれと、「ダツモウ」に祈っていた。

大学生になり、バイトも始め脱毛資金が貯まったのは一年生の冬の頃だった。どこで施術をしてもらうかを検索している時にふと、なんだかこれでいいのかなという気持ちになった。私はメイクも日常的にする方ではなく、女性の身だしなみとして強制されるような風潮に嫌悪感があるが、同じことなのでは?と初めて思った。もしそんな風潮がない社会で生きてきたら、自分はしたいと思ったのかと聞かれれば私はNOだろう。自分の意志と言い切れないまま脱毛をしたら、それは自分を苦しめてきた社会側にまわってしまうことになるんじゃないだろうか。あるいは、子供が自分を見て「あのお姉さんも毛がない」と学習してしまう一例になるのは、自分の本意ではないのではないか。ここで一つ弁明しておきたいのは、世の中の脱毛をしている方たちにどうこうという気持ちは一切ない。本当にない。ただ、自分は今のままだと社会に流されてしたことになり、後悔するのではないかと思っただけだ。自分の意志でしたいと思ったんだ、と胸を張って言えるようになったらしようと決意した。でも一年生からもうこんなに時間が経ってしまった。そもそも美意識が社会とは不可分だから、自分の意志でなんて一生思えないんじゃないかと思う。思えないという言い方をしている時点で、お察しなのだが。脱毛しないままでいればいいじゃないかというのはそうなんだが、露出への恐怖心がずっとあり半袖を着られない。決意して堂々と半袖を着ているなら、いいねとも思うのだが、口で決意だのなんだの言っておいてこの様だからひどく格好が悪いし、醜いと思う。今では夏でも長袖を着ることに少し慣れてしまった。大学生になってから気がついたのは、全く知らない人しかいない場所、というか「見ていないだろう」と思える時は半袖を着ることが出来るということだ。一人で映画に行く時だったり、一人でご飯を食べる時、電車の中etc…。一人の時でも「見られているかも」という意識が働いてしまうとダメで、お会計する時はちょっと怖くなる。服屋さんは特に。コロナのワクチンを打ちにいった際に、注射がどうこうよりもずっと「この看護師さんも私のこと毛が生えてるなとか思ってるのかな」と思ってしまった時は、流石に重症だなと笑ってしまった。注射に集中していてそんなこと思ってもいないだろうし、「みんな言うほど気にして見てないよ」というのもそうなんだろうし、自意識過剰だというのも分かってはいるがどうしても怖い。だから人に会う時は基本長袖を着ているし、バイト先なんてもう絶対長袖だ。真夏に長袖を着ているとみんな大体「長袖暑くないの?」と聞いてくるが、そんなの暑いに決まってる。半袖着たくて仕方がないよ。最近はアルバイト先で、出勤して挨拶をすると「今日も長袖だ」というのがお決まりのやりとりになっている人がいて、少しザラッとする。でも「日焼けしたくないから」とか適当な理由つけている。そうだよ私が長袖ラバーだよ。

 

あまりにもこのままではと思い、少しずつ半袖を着る挑戦もしてみてはいる。友達に一連のことを説明させてもらって、予防線を十分に張って、着るという回りくどいことをしている。「大丈夫」と声をかけてもらって、着られるようになった場面や人も前よりは増えたけれど、その日の自分の状態で「無理だ」と思ってしまう日もまだまだある。だって本当に怖い。友人達がそれで幻滅したり、説明なしに体毛を見たとしても言ってきたりするような人達じゃないのは分かっている。でも、思ってしまうことは止められないから。直接言ってくる人がいたら怒ればいいが、「あ、」とか「処理してないんだ」とか思ってしまうことはどうしようもできないから、それが一番怖いんだと思う。好きな人達にそう思われたくない。

 

最近はよく、やらないという抵抗は抵抗になっているのかなと自信がない。この脱毛にしても、就活のメイク講座にしても、バイトにしても。三年になり説明会やインターンが始まると学校や就活サイトが主催して「女子限定!就活のブラウンメイク講座」的なやつがよく開かれる。心底気持ちが悪くて、友人達と嫌だね、絶対申し込まないでおこうと話していた。けれど、私たちが申し込まなくても、毎回それらの講座は定員に達していたし、需要はあるみたいだった。だから、また来年もきっと開催されちゃうねと後輩たちに申し訳なく思ったりした。また映画館のバイトを探していた時に、好きな映画館の募集要項が前時代的に感じて悲しかったこともある。応募しなかったけれど、これもまたその条件を何とも思わない人によって埋まった。だから、多分次も同じ条件で求人が出されると思う。そう思うと、加担しないというささやかながらでも抵抗しているつもりだったけれど、社会的に見たら何にもなっていなくて0なのではないかと落ち込んでしまう。もっと次の段階の、というのも分かっているけれど、今の自分にはこれが精一杯だという言い訳もさせてほしい。もっと先に進んでいる人たちからしたら、答えも分かっているんだとも思うけれど、もう少しジタバタすることになりそう。

 

 

明日からずっと「大丈夫」と言ってくれる友人達と海辺に行ってくるから荷物に半袖も入れてみたんだ。

キラキラサマーガールになりたいよ。

 

 

 

 

 

 

Love Letter

2/22

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新潟から帰り、その足で観た。やっぱり雪だった。今の自分は雪に惹かれるのだろうね。生まれた時も雪が降っていたらしい。

ごく個人的な話をする。私のための物語は沢山あるが、これは私の物語だった。そのまんまの意味で、私の話かと思った。

樹(いつき)という名前を聞いて、好きだった人のことを思い出した。

 

この免許合宿で好きになった人の名前も樹だった。藤井樹は小樽の人だったが、樹さんこといっちゃんも北海道の出身だった。免許合宿は冬の山形だったので、雪が積もっており、様になるなぁと眺めていたのを思い出した。この人の故郷もこんなに積もっているのかと想像していた。免許合宿から戻り、告白をし、それからしばらく交換日記という形で、今日あった出来事や、街中で見つけたものを送り合っていた。適当なことを言って、その場で断ることもできただろうに、向き合ってくれて優しかったと思う。徐々に連絡の頻度が落ち、振られもせず消滅してしまったが。(実っていないので消滅という書き方が正しいのかわからない) 北海道行ってみたいなぁ。3年生からゼミに新しく加わった人が、樹で、しかも、苗字もいっちゃんと同じという同姓同名で、本当にめちゃくちゃ驚いたのを覚えている。最初の挨拶がメールだったので、幻覚が見え始めたのかと目を疑った。対面の自己紹介の時に、ゼミの人の呼び方は"いつき"ではなく、"たつき"だということを知った。物語で藤井樹は性別が異なる同姓同名で、私の場合もそうだったのでそこまで一緒なのかと思いながら観ていた。図書カードに書いていた名前の話は、まさに君の名前で僕を呼んで………。

山に向かい叫ぶ「今一番いいところ」のシーンは私もできるようになるだろうか。博子の山という要素と藤井樹の父という要素が私に重なっていて驚くしかなかった。父が亡くなって以降、山には近づかないようにしているが、いつか向き合うべきだというのも分かっている。その時、私に付き添ってくれる人はいるのだろうか。幼いころ山にはしょっちゅう連れて行ってもらっていて、最近よく思い出す。美しい場所で生まれ育ったと思う。新潟では、御嶽やアルプスの山々、山と川だらけの地元などを思い出していた。久しぶりの人との第一声が「元気?」なのよくわかるようになった。

お元気ですか?

21

21になった。21は数字の中で1番好き。だからすごくテンションがあがってなんか新潟にまで来ちゃってるんだと思う。逆に言うと1番テンションがあがる誕生日が終わってしまったということでもあるのでこの先が不安。21は私の中でラッキーナンバーだ。思えば、映画館のバイトに1年間かけてようやく受かったが、21社目だった。それは何度考えても落ちすぎだと思う。21が好きな理由は21日生まれだから。もっと言うと、私の生年月日は2と1だけだから。単純。そんな単純な私にも複雑な感情はある。20歳は自分の感情の端から端まで触れたような1年間だった気がする。

まず20歳になったばかりの時は怖さが大きかった。未成年ではなくなり、色々なことが出来るようになった自由よりも喪失したような怖さを感じていた。私は20になるまで、飲酒や喫煙をしたことがなく、誘われても断ってきていた。断っている自分が好きだったみたいなところもあったと思う。なんとなく自己紹介の役割を担っていた(居酒屋のバイトは特に)ので、一つアイデンティティを失ったような感覚があった。 

 

春は、久しぶりに地元の桜を撮り歩いた。相変わらず綺麗だった。私が桜に特別な感情を抱くようになったのは高3の春で、その頃よりもずっと良いカメラを使って、良い構図で撮ったはずなのに、高3の時の写真の方がずっとよかった。切実さが違うのか。と落ち込んだりした。技巧に本質はないんだろうな。最近様々なところで同じことを考えている。語彙が増え、そういうようなこと、をそういった類のこと、と言えるようになったところで、そこに本質はないと思う。それは重ねるのが上手になっただけだ。どうかこのまま重ねるのだけが上手くなってしまいませんように。

 

夏が来る。ずっと寂しかった。夏が寂しいなんて聞いてない。今までもずっと寂しかったけれど、とてつもなく寂しかった。本当は今も寂しいんだと思う。みんな寂しくないフリしないでよ。母が、少し落ち着いて、未来のこととかを話してくれるようになって、安心したからかもしれない。それまでは、母をどうにかしないとと思っていたから、あまり自分の気持ちを見ていなかった気がする。母がスマホデビューをしたのも同じ頃である。スマホを手に入れたことにより、長らく連絡を取っていなかった妹達(私から見て叔母)や友達、母(祖母)と連絡を取るようになり、すごくいい顔をするようになったと思う。それを見て、帰らせてあげなきゃと強く思った。日本にとどまらせているのはどうしても私なのだから、申し訳なくなった。しかし、いい子であろうもすることは、過去の自分を見ないふりしているということであり、苦しんでいた(る)自分に対しても申し訳なくなる。単純な私にも複雑な感情はある。あまりにも10年と子供の頃の感情は大きい。

 

夏休みが終わり、一人暮らしに戻るといよいよ落ち込んだ。大学生になってから一番辛かった。家のことと、自身に×をつけられ続けたことで、保てなくなってしまった。取り止めもないことをずっと考えた。今も気を抜くと考えてしまう。取り止めもないことやどうしようもないことを考えてはずっと泣いていた。音楽を聴く気にも、映画を観る気にもなれず、この時音楽や映画は救ってくれなかった。自分で自分の波に乗れず、この時もみんなはどうこの波を乗りこなしているのか不思議でたまらなかった。私は今にも、いつか、呑まれそうで本当に怖いのに。

 

11.21  一周忌。好きな21が翳る。お墓参りをした。今年は曇り。人もほぼいなかった。少し肌寒かったかもしれない。ろうそくに火をつけた。対峙する。私と炎だけ。ジジッ─ジジジッ──……プツ…ブフッ── 。    まっさらな気持ちで炎を見つめる。火が本能に訴えかけるというのは本当なんだろう。目が離せず、ただひたすらに見つめた。真空の中で色々なことが浮かんでは消えた。もうろうそくが消える最後の1分くらいで初めてろうそくの匂いがした。どうにもツンとする。煙草を吸っている時も火と煙を見て、否が応でも思い出すことを繰り返す。何年先も同じことを言っている気がして、私はいつまで引きずるんだろうか。苦しいかもしれない。

 

大きい出来事は不可逆だとつくづく痛感させられる。何をしても元には戻らない。私はどんな映画を観ても、何を聴いても、"死"に関する出来事が出てくると重ねてしまうんだ‼︎ そして色々な登場人物や、言葉を死ぬ方向へと想像してしまう。この先に見るやつ全部そうなのか、勘弁してくれ。

 

11月は大学に入ってから一番嬉しかった月でもあった。何も届かない日々に私は、同じ死にたさを持っている人が生きていてくれることに何より救われていた。「会うまで死ねない」と思っていて、日時が近づいてこの状態で会わない方がいいのではないかとなった時も更新されたブログを読んでは「やっぱり会わなきゃ」と思った。当日はなんだか本当にずっと楽しくて、嬉しくて、私はあの日を一生忘れないだろうし、その思い出だけで生きていけるような気がする。そんな日だった。人と出会うということがわかったような。映画はちどりで「誰かと出会い、何かを分かち合う。この世界は不思議で美しい」とヨンジ先生は言っていたが、確かにその日は美しかった。

悪いことが続くようによいことも続くのだな。秋以降、新しい場所に行けたり、色々な人と会えたりするようになって、少しずつ進めているのではないかと思う。

 

最近、背中を押してもらうことがたくさんあった。本当にありがとうとしか言えない。苦手なことが多く、なよなよしている自分のことが好きではないが、この人たちに出会える自分のことは好きだ。この瞬間瞬間の言葉も表情も自分の感情も全部忘れたくないのです。何年後かも、みんながいなくなった後も残っていてほしいよ。

 

21歳初日、ただいま降雪地帯。やはり、雪はしんしんと降る。

夏2021

迷っていた桃は結局食べませんでした。

ここ最近ずっと寂しい。ただただ寂しい。      誰といても寂しい。どこにいても寂しい。      夏は、寂しいと無縁の季節だと思っていたのに困ってしまう。今まではずっと冬が1番苦手(寒いのが無理だから)だったのになんだか今年でグッと夏のことが苦手になった。

7月、8月、寂しいとばかり思っていて、道ゆく人を見てもこの人も寂しいのかなとばかり考えてしまう。   みんなこんなん抱えて生きていってるんですか。凄すぎませんかと思う。みんな寂しいんですか? 消える類いのものではないのなら、あと何年も何十年もこれと生きていくんですか。みんな凄すぎませんか。      どう付き合っているの?

 

 

 

短歌、つくってみようと思って書き留めてみた。けど全然字数が合わない。

 

君にだけ すり抜ける嘘と 寂しさと ちりりとすら 鳴けない僕と。

醜い悪魔 夏のせいで キラキラに エンドレスサマーになんか ならないで。

冷えピタを 貼る手の温かさ ふえたシワは 魘されて見えない

1.2.3.4 運動部 Summerの旋律 タップダンス?  

線香花火 最期みたい そんなの綺麗事だよ しけって火すら つかない。 

墓石鬼灯道標 私もほっぺを膨らませようかな 

あの夏の 眩しさを今も 思い出す 暑中お見舞い 申し上げます。