This is it.

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21

21になった。21は数字の中で1番好き。だからすごくテンションがあがってなんか新潟にまで来ちゃってるんだと思う。逆に言うと1番テンションがあがる誕生日が終わってしまったということでもあるのでこの先が不安。21は私の中でラッキーナンバーだ。思えば、映画館のバイトに1年間かけてようやく受かったが、21社目だった。それは何度考えても落ちすぎだと思う。21が好きな理由は21日生まれだから。もっと言うと、私の生年月日は2と1だけだから。単純。そんな単純な私にも複雑な感情はある。20歳は自分の感情の端から端まで触れたような1年間だった気がする。

まず20歳になったばかりの時は怖さが大きかった。未成年ではなくなり、色々なことが出来るようになった自由よりも喪失したような怖さを感じていた。私は20になるまで、飲酒や喫煙をしたことがなく、誘われても断ってきていた。断っている自分が好きだったみたいなところもあったと思う。なんとなく自己紹介の役割を担っていた(居酒屋のバイトは特に)ので、一つアイデンティティを失ったような感覚があった。 

 

春は、久しぶりに地元の桜を撮り歩いた。相変わらず綺麗だった。私が桜に特別な感情を抱くようになったのは高3の春で、その頃よりもずっと良いカメラを使って、良い構図で撮ったはずなのに、高3の時の写真の方がずっとよかった。切実さが違うのか。と落ち込んだりした。技巧に本質はないんだろうな。最近様々なところで同じことを考えている。語彙が増え、そういうようなこと、をそういった類のこと、と言えるようになったところで、そこに本質はないと思う。それは重ねるのが上手になっただけだ。どうかこのまま重ねるのだけが上手くなってしまいませんように。

 

夏が来る。ずっと寂しかった。夏が寂しいなんて聞いてない。今までもずっと寂しかったけれど、とてつもなく寂しかった。本当は今も寂しいんだと思う。みんな寂しくないフリしないでよ。母が、少し落ち着いて、未来のこととかを話してくれるようになって、安心したからかもしれない。それまでは、母をどうにかしないとと思っていたから、あまり自分の気持ちを見ていなかった気がする。母がスマホデビューをしたのも同じ頃である。スマホを手に入れたことにより、長らく連絡を取っていなかった妹達(私から見て叔母)や友達、母(祖母)と連絡を取るようになり、すごくいい顔をするようになったと思う。それを見て、帰らせてあげなきゃと強く思った。日本にとどまらせているのはどうしても私なのだから、申し訳なくなった。しかし、いい子であろうもすることは、過去の自分を見ないふりしているということであり、苦しんでいた(る)自分に対しても申し訳なくなる。単純な私にも複雑な感情はある。あまりにも10年と子供の頃の感情は大きい。

 

夏休みが終わり、一人暮らしに戻るといよいよ落ち込んだ。大学生になってから一番辛かった。家のことと、自身に×をつけられ続けたことで、保てなくなってしまった。取り止めもないことをずっと考えた。今も気を抜くと考えてしまう。取り止めもないことやどうしようもないことを考えてはずっと泣いていた。音楽を聴く気にも、映画を観る気にもなれず、この時音楽や映画は救ってくれなかった。自分で自分の波に乗れず、この時もみんなはどうこの波を乗りこなしているのか不思議でたまらなかった。私は今にも、いつか、呑まれそうで本当に怖いのに。

 

11.21  一周忌。好きな21が翳る。お墓参りをした。今年は曇り。人もほぼいなかった。少し肌寒かったかもしれない。ろうそくに火をつけた。対峙する。私と炎だけ。ジジッ─ジジジッ──……プツ…ブフッ── 。    まっさらな気持ちで炎を見つめる。火が本能に訴えかけるというのは本当なんだろう。目が離せず、ただひたすらに見つめた。真空の中で色々なことが浮かんでは消えた。もうろうそくが消える最後の1分くらいで初めてろうそくの匂いがした。どうにもツンとする。煙草を吸っている時も火と煙を見て、否が応でも思い出すことを繰り返す。何年先も同じことを言っている気がして、私はいつまで引きずるんだろうか。苦しいかもしれない。

 

大きい出来事は不可逆だとつくづく痛感させられる。何をしても元には戻らない。私はどんな映画を観ても、何を聴いても、"死"に関する出来事が出てくると重ねてしまうんだ‼︎ そして色々な登場人物や、言葉を死ぬ方向へと想像してしまう。この先に見るやつ全部そうなのか、勘弁してくれ。

 

11月は大学に入ってから一番嬉しかった月でもあった。何も届かない日々に私は、同じ死にたさを持っている人が生きていてくれることに何より救われていた。「会うまで死ねない」と思っていて、日時が近づいてこの状態で会わない方がいいのではないかとなった時も更新されたブログを読んでは「やっぱり会わなきゃ」と思った。当日はなんだか本当にずっと楽しくて、嬉しくて、私はあの日を一生忘れないだろうし、その思い出だけで生きていけるような気がする。そんな日だった。人と出会うということがわかったような。映画はちどりで「誰かと出会い、何かを分かち合う。この世界は不思議で美しい」とヨンジ先生は言っていたが、確かにその日は美しかった。

悪いことが続くようによいことも続くのだな。秋以降、新しい場所に行けたり、色々な人と会えたりするようになって、少しずつ進めているのではないかと思う。

 

最近、背中を押してもらうことがたくさんあった。本当にありがとうとしか言えない。苦手なことが多く、なよなよしている自分のことが好きではないが、この人たちに出会える自分のことは好きだ。この瞬間瞬間の言葉も表情も自分の感情も全部忘れたくないのです。何年後かも、みんながいなくなった後も残っていてほしいよ。

 

21歳初日、ただいま降雪地帯。やはり、雪はしんしんと降る。